先月になりますが、岐阜県の瑞穂市にある朝日大学で大学一年生に向けた講義をさせてもらいました。朝日大学の建学の精神は「国際未来社会を切り開く社会性と創造性、そして人類普遍の人間的知性に富む人間を育成すること」を挙げています。その中で、現役アスリートから得られるものとして私を呼んでいただき大変ありがたい時間でした。
講演のタイトルは「世界で戦う、諦めない心」として、今も世界の舞台で戦うアスリートとしてのお話をさせていただきました。
自分の大学1年生というと、高校生から一旦新しい環境の大学で今までとは違う専門的な知識を多く学び、続けてきた部活動も同時に頑張りたい!と意欲を沸かせる時期でした。一方で、大学一年生の授業は一般的な幅広い知識であり、何がどう何に繋がるのだろうか、と知識と経験を一致することができず、『大学生活』という憧れに似た時間を楽しみ、学びについては悩むこともなく、時間がただただ過ぎていったように感じます。
あの頃の自分に何を伝えたらいいのだろうか、、、考えれば考えるほど難しい。悩みまくったところではあったのですが、私があの時に自分宛に欲しかった言葉を伝えようとお話をさせてもらいました。
あの頃の私は大学4年という「4年間」の単位をとてつもなく長く感じ、将来どうなりたいとか、自分の芯はこうだ、みたいなものは全くなく、推薦で入った部活動も挫折し、見た目も変わり、自信がどんどん減って行きました。
あの頃の自分に声をかけるとしたら「今の自分を科学的に紐解け」そう言うでしょう。
なぜなら、今の私がその言葉通りに動いている結果、自分が元々やりたかった「アスリート」の道を目指せているからです。しかしながら、言うて私も今35歳です。トップを狙うアスリートとしての人生はそう長くはありません。だからこそ、今の大学1年生には、今から、今の自分はどんな自分で、どんなことを考え、なぜこの行動をとっているのか、を科学的に紐解いて欲しかったのです。
私は自分のことが分からなくて、分からなくて、悩みました。今でさえも、自分のことが一番わかりません。それでも分かろうと努力している中で、アスリートとしての道を切り開いてきました。
その方法が私にとって「科学」だったのです。大学院時代に学んだ登山の運動生理学という研究分野は常に自分の身体を実験対象として、データを取り、分析し、発表してきました。知識として得た情報が実体験で感じられた時、また逆に実体験で得たことが知識と繋がった時、初めて自分という生き物を知れた気がしました。
科学といっても難しいことではありません。
科学の原点は言葉化である
これは私の恩師が教えてくれた言葉です。ただのトレーニングは、現状を頭の中だけ、つまり暗黙知だけで把握し、それを元に説明→予測→操作を行っていることである。この方法では視点が狭くなるため、言語化つまり可視化することで視点が倍増する、そう教えてくれました。
トレーニングの語源は英語のトレインです。列車という意味ですが、そのもとには「引っ張る」という意味があります。
引っ張るというからには、暗黙のうちに現在地と目的地とが想定されています。例えば、あなたがある大会で優勝したいという目標を立て、現在の自分はそのレベルにはないとします。その場合、目的地と現在地との間にはギャップがあります。その溝を埋める作業がトレーニングなのです。
科学的なトレーニングとは、今の現状を知ることがスタート地点なのです。そのスタート地点の見つけ方について、今回いろんな方法で調査し、分析し、どうレースに挑んだか、私の例を学生たちにお話しました。
難しかったのは、私の話を通して自分事にどう考えてもらえるか、今回は特に痛感したところです。学生たちに自分だとどう考える?という『自分事』の時間を作れるワークセッションを、次回までに考えられたらなと思います。
学生からは講義の後に直接質問をしてくれて嬉しかったです。一人の学生からは、新しい部活動が立ち上がり、その中で大学1年生だけどキャプテンをしているとのことで、キャプテンとしてどう取り組めば良いかを質問してくれました。
私は大学4年生の時に女子駅伝部のキャプテンとしてチームを引っ張る役目を担わせてもらいました。この時に大失敗したのが、キャプテンだから『みんなのことは全部キャプテンである自分が知っておかなければならない』そう思っていた考えです。
ある時同級生に言われました。「全て喜美乃に言わないといけないの?」どストレートな言葉が刺さりました。この一言でどうキャプテンとして立ち振る舞うかを考え直しました。
キャプテンという役目が付いた途端に、ヒトは胸を顕著に張りやすく、上からものを言いやすい。前に出て率先して引っ張るキャプテン像が直ぐに浮かぶと人思いますが、キャプテンにもいろんなキャプテンが居るだろう、と大学時代に学びました。
私がキャプテンをしたその頃は、私自身が駅伝の走者に選ばれることはない走力でした。練習時に引っ張るキャプテン像に憧れていましたが、自分には出来なかった。なので、走力のある同級生に声をかけて、トレーニングリーダーとして役目を担ってもらえるようお願いをしました。一生懸命黙々とトレーニングする同級生には、怪我で本練習に入れない後輩たちのメンタルサポートを担ってもらいました。私はというと、男子の駅伝部キャプテンと男女それぞれのチームメンバーの情報交換をし、男女ともに駅伝部の士気を高めるために話し合いました。
それぞれがそれぞれの得意なことで役目を持つことで、無理のない責任感を持つことができました。その結果、当時の大学女子駅伝として九州勢初・国立大学初のシード権を獲得できました。私は走るメンバーとしてではなく、支えるメンバーとしてこの勝利を得ることができました。
この時の経験で、自分の考えていることを他者に共有すること、同じ『単語』で理解し合うこと、それは自分だけでなく相手にとっても得たい成果に繋がることができると思っています。
今しかできない努力を、科学的に、自分自身をよりよく知って、大学4年間を過ごして欲しいなと思います。
学生の皆さん、朝日大学の職員の皆様、竹島先生、この度は講義に呼んでくださり本当にありがとうございました。